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DISCOVERY : WORK THIS WAY

Archive for 2011.09


浜松と戦争

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太平洋戦争での米軍による浜松市空襲、
遠州灘からの艦砲射撃による被害は死者1,157人、
全焼16,011戸にのぼった。

[昭和19年12月13日午後2時26分]
佐藤、相生、木戸、天神、中島に焼夷弾613発が落とされたのをはじめ、
昭和20年に入ると毎月数回の空襲に襲われるようになった。

[昭和20年2月15日]
6機のB29が爆弾21発、焼夷弾7,324発を市内の広範囲にわたって投下。
焼夷弾の威力

[昭和20年6月18日午前0時10分]
B29約100機の大編隊が全市を爆撃、本市は実に65,000発という莫大な数の焼夷弾によって焼き尽くされた。


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数年前に読んだ
春夏秋冬叢書 「戦争の記憶」(たぶんコレ)

浜松市からそう遠くない
豊川海軍工廠の話などがまとめられてある。
図書館に置いてあると思います。

戦争後の闇市でモノを売る暮らしの体験談があり、
たしかその人は竜ヶ岩洞で土産を売っている方で
実際に会いに行った記憶がある。


アメリカ軍による日本内地への機銃掃射


浜松のマイク持つHIPHOP MC諸君!
愛だの友情だのも良いけど
その言葉を武器に言わなきゃいけないこと
HIPHOPだから、あなた達だから言えることがもっとある!!


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浜松昔話「浄鏡院のきつね」

まだ小さかった頃
ばあちゃんがよく昔話しを聞かせてくれた。
浜松にもたくさんの昔話しがあって、特に橋や寺、川、山などに多い。

新しいコトを始めたり、デジタルなコトに挑戦するのも良いけど、
自分の住んでいる町に、とてもファンタジックなコトがあって、
それを掘り下げて、子供と昔話しを語りながら
ブラブラ歩くなんてのも素敵だと思う。

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「浄鏡院のきつね」

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今は、むかし。
鍛冶町に、浄鏡院という寺がありました。

寺のうちは大きなやぶで、竹はざぁざぁ鳴るし、
雨ふりにはばらばら音がして、とても淋しいところで
日が暮れると、ばったり人通りが絶えてしまうのでした。

このやぶには古きつねがすんでいて、
よく人にいたずらをしたもので、月の良い晩などには
肴町あたりまで、さかなのあらを探しに出て来たものでした。

その肴町に伊八さというものがいました。
伊八さは元気のいい若い衆でした。
伊八さが夜遅くに帰ってきますと、
道にきつねが、しょろんとたっていました。

「おやおや。」

と、見ていると、きつねはたちまちかわいい娘に化けました。

「こんばんは。」

と、ことばをかけました。
けれども、いそいで化けたので桃われの髪のあいだから
つんっと立った耳がのぞいています。
伊八さはおなかのなかで、おかしくてたまりません。

「このいたずらものめ。」

と、しかりつけると、きつねは

「ほい、しまった。」

と、でんぐりかえって逃げていきました。
このきつねは、夜になると
「今夜は、霜げる、すととんとん。」と鳴いたそうです。

浄鏡院もいつか廃寺となって、
このあたりは、いま浜松でいちばんにぎやかな町通りとなっています。


「浜松の伝説 上」ひくまの出版
編集:渥美 実


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昔は鍛冶町も静かなところだったんですね。
[浄鏡院 浜松]で検索すると、あるサイトでこんなコメントがありました。

1850年頃の浜松城下絵図を見ると、浄鏡院という時宗の寺があり、
東側は田圃がひろがっています。
黒田稲荷はもともと、この浄鏡院の鎮守だったということです。



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